記憶と記録的な

単純に何を書こうか思いつかなく数日経ってしまいましたが、そういやと思い出した事があるのでそれを。



個人でプロレスの大会結果をその人が知り得る範囲でデータベース化してるサイトがありまして、そこに僕が人生初の観戦に行った大会のもデータとしてあったんですよ。



1984年の1月12日。僕が十歳の誕生日の前日にあたるこの日に紋別全日本プロレスが興行を行なって、そこに僕は誕生日プレゼントとして観に連れて行ってもらったのです。



ただ、その時の記憶として残ってるのは、ザ・グレート・カブキさんが凱旋してブームを起こしてた頃で、メインで馬場さん天龍さんとトリオを組んで出たって事位しか思い出せなかったのです。



それで先述のサイトで大会結果を見ると色々と思い出す事や意外な事実が残されてました。



第一試合でアポロ菅原選手(当時は本名の菅原伸義)の相手が若手時代の川田利明選手だったり、第二試合では百田兄弟がターザン後藤選手と冬木弘道選手の相手をしてたり。



リスマルク選手の名前を見てそういやこのシリーズの目玉外国人の一人が彼だったなとか。



セミではフリーバーズの相手を鶴田選手阿修羅原選手が務めてた事とか。



そこまで見て多分自分が会場入りした時にはもう中盤で件のリスマルク選手の試合が始まった頃だった様に記憶してます。それが休憩前か後かまではわからないけど、売店に馬場さんのサイン入りのTシャツを買いに行った記憶もあります。リスマルク選手の相手がマッハ隼人選手と言うのは言われてみれば相手もマスクマンだったなって感じで。



んでメインの六人タッグ。馬場・天龍・カブキは合ってたのですが、相手が上田馬之助選手、鶴見五郎選手、そしてケリー・キニスキー選手と言うのは今見ると味わい深いマッチメイクだなぁと。そして試合を決めたのが天龍選手が鶴見選手からと言うのもまた面白いですね。



データをコピペしたりそこをリンクするのは控えましたが、検索すれば比較的容易に辿り着くかと思いますので、興味がある人はどうぞ。