単純な話

少し間が空きました。



前回の記事が記事なので、落ち込んで書けないとかって思われたりするのかなとも思いますが、正直な所、他のSNSとかはその間も投稿してるので単純にブログとして何を書けばいいか思いつかなかっただけなんですね。



多少ネガティヴに思われようと、ブログに関しては他のSNSより自分の内面を少しだけ曝け出すつもりで一応書いてるので、その上で極力迷惑をかけない様にとも心掛けてはいます。少なくとも今のスタンスはそうです。



まぁもう誰かの事をどうこうとかってのは他のSNSも含め触れたく無いかな。顔も付き合わせてもいないのにそこで苦しんだり悲しんだりは心のキャパシティを超えてしまうし。



さて、折角なので、先日亡くなった2個上の姉との思い出を少し綴りますかね。



僕には5個上、2個上、1個上の姉がいました。2個上の姉は僕にとって1番仲が良いと言うか1番優しい理解者と言うか。あと、ボクら姉弟の中で1番常識的と言って良い感覚の人と言いますか。



自分の中の正義感を持ってて、それは反抗期の時とかに少し棘のある様に学校とかでは見えていたのかも知れないけど、同級生の人から別にそれで嫌われたりした様には見えませんでした。



僕に対して優しかったのは「アンタは私達と違って男の子なんだから噛み合わないところがあっても仕方ないんだよ」と。明確に言葉で伝えられたわけでは無いけど、そう思って接してくれてたのかなと思う事が多々あった。



思い出を一つ一つ挙げていくととめどないし、自分の中に留めておく事もあるけど、一つ思い出としては、姉が高校、僕がまだ中学の頃だったか、ある冬の夜姉が夜友人の所に出掛けた後祖父が玄関を鍵かけてしまって、深夜の冬の中家に入れなくなって。その頃偶々自分の寝床が一階でしかも窓際だったのが幸いして、僕を起こして何とか家に入れたことがあった。祖父は怖い人だったので(元軍人)気づかれない様にそっと玄関を開けに行くのが大変だった。



まぁ北海道の真冬の夜なんで頼まれたら断るわけにはいかないし。



後々姉の口から何度もあの時は本当に助かったと。それからはさらに優しくなった気がする。



あと、高校卒業後札幌の専門学校に進学が決まり、地元を旅立つ時、札幌行きのバスへ見送りに来てくれたっけ。その時バスに乗る前に飲もうと買った缶コーヒーがいざ乗り込む時まで結局飲むタイミングがなくて、バスの中で飲んだら車酔いしそうだなと何故かその時思って、乗り込む寸前に姉に「これ代わりに飲んでよ」って渡してそのまま出発した。



それから最初に帰省した時、姉の部屋の一角にその時の缶コーヒーがあって。手付かずに。



(ああ、飲まなかったのか)と、その時は思うだけだったけど、今思うと離れて暮らす事を寂しく思ってくれてたんだなぁって。



そう思ってくれていた人がこの世からいなくなった。でも、思い出は自分が生きている間は多分残り続ける。



年を取ると人の輪が広がる人と小さくなる人がいて、僕は確実に後者だ。でも、確かなのはこの世にいてもいなくても、自分の事を好意に思ってくれる人、思ってくれていた人がいたというその事実と思い出が胸に残ってるから出来るだけ生き続けたいと思っている。